ウメサオタダオと福山

講師の杉本です。

先日、大阪の国立民族学博物館で開催されている「ウメサオタダオ展」に行きました。梅棹忠夫は、世界各地を探検し独自の文明論を構想した著名な研究者です。彼は、この博物館を創設した初代館長でもありました。昨年(2010年)、惜しくも亡くなり、訃報できいたことがある人も多いかもしれません。

ウメサオタダオ展(国立民族学博物館)
http://www.minpaku.ac.jp/special/umesao/

会場では、さまざまな仕事の資料や道具が、そのまま展示されていました。展示されていたのはごく一部でしょうが、それでも大量のカードやノート、スクラップブックの数々に圧倒されました。学生さんには、ぜひ行ってほしいところですが、行けなくても展覧会のサイトでその一端を見てほしいと思います。

さて、この展覧会の会場に、梅棹ゆかりの土地が地図に示されていました。なんと、そのなかに、わがまち「福山」がありました。わたしにとって、梅棹忠夫はモンゴルやアフガニスタンといった秘境のイメージが強かったので、国内の都市、それも福山があることに意外な気持ちを抱きました。

じつは、梅棹は1960年頃、日本各地をおとずれて、雑誌『中央公論』に文明論紀行「日本探検」を書いていたのです。その連載第1回の舞台が福山でした。その紀行文を読んでみたところ、とてもおもしろい! 内容は、福山藩の藩校だった誠之館をたずねながら、日本文明における伝統と近代化の問題、地方と中央の問題というふたつの主題へと流れていきます。この短い論考が執筆された頃、福山には、まだ山陽新幹線も開通しておらず、福山城の天守閣も再建されていません。読みすすめるうちに、このときの福山の様子がうかがえるとともに、福山の歴史や気風をちょっぴり知ることができました。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

梅棹忠夫「福山誠之館」『梅棹忠夫著作集 第7巻 日本研究』中央公論社、1990年、7〜46ページ。

残念ながら大学図書館にはないようです。福山市図書館にはありました。

(メディア情報文化学科 講師 杉本達應)

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