新年度に入ってからというもの、『なみのおと』映画会に向けての準備やら何やらで慌ただしくも充実した時間を過ごしてまいりました。学科ブログも気づいたら、映画会のことばかりになってしまいましたが、映画会メンバー学生を中心に学科全体でつくりあげたとてもよい会だったと思います。濱口監督や会の運営に関わった学生たちから感想コメントをいただいていますので、そちらを紹介しながら5月12日の会を振り返りたいと思います。
●今回の映画会では学科のfacebookページを使って広報をするという試みをし、どのような情報を挙げていくかなど差配してくれていた4年生の李さん。上映会当日5月12日は、2008年の四川地震が起こった日でもあり、特別な日にこの会を行うことになりました。
今回の映画会は様々な方々のお陰で成功したと考えています。本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。映画会などを企画することにずっと憧れていました。実際にやってみていろいろ難しかったですが、先生の指導やメンバーの協力でなんとか乗り越えました。留学の最後の一年で、このような経験をさせてい頂いて本当に有り難うございました。
濱口監督と初対面の学生のみなさんも、監督が気さくな方とわかると一気に空気がほどけ、上映の裏側での監督との打ち合わせは終始和やかに(ほぼ歓談で?)進みました。みんなが笑っている中でも、司会の花村くんは台本にくぎ付けになり、言葉を最後の最後まで書き続けていたのが印象に残っています。
●次にご紹介する感想は、学科活動日でこの映画会の活動を知って「お手伝いしたいです!」と真っ先に手を挙げてくれた1年生の森さんです。打ち合わせの場を活発にしてくれました。
今回の企画に参加したのはちょっとした好奇心からだったのですが、いつの間にか私の中でこの企画の存在はとても大きなものになっていました。無事に上映会も終了し、皆さんの笑顔を見てとても有意義な時間だったと再認識しました。これからも何かあれば宜しくお願いします!
今回の会の副題にもありますが、「震災を撮ること、聴くこと」について考えること、これがティーチインの中でも中心となったところでした。今となっては「震災直後」と言える、2011年5月に濱口監督が被災地に入ったときには、「もうすでに大事なことが起こってしまった後で、撮る人間としては出遅れた感があった」というのは、前に新聞記者の方からも聞いた言葉です。津波で流れた物を見て「ただのモノとなってしまった」この状況をいかにして後々まで残していくかということを考えたときに、対話式、対面式のインタビュー記録を残すことを選んだのだそうです。「この場所にどういう人がいたのか」の記録が100年残るように、何があったかの風景だけでなく、土地の人の語りとして撮っていこうということを考えたとのことでした。
小津作品のことも引き合いに出しつつ、インタビュイーを正面から撮るカメラワークについても種明かしをしていただきました。スクリーンの中から、対峙するように語られる震災の記憶たちは、映画館という音響環境も手伝い観る側にまっすぐに届いてきます。冒頭に三陸津波の教訓を伝える紙芝居をもってきているのも、紙芝居のような映画が始まるという宣言として選んだとのことで、紙芝居という記録伝達メディアを引き継ぎつつのこの作品なのだということだったのだろうなと思いました。『なみのおと』の共同監督である酒井耕さんと濱口さんとの間の「対話」、特にお互いの「故郷」に対する感覚の違いがあったからこそ、「声を聴き取ること」の深みが増してきたとのお話もありました。司会の2人が濱口監督の言葉を丁寧に拾いつつ、遠くの地で起きていたことを「聴く」、とてもよいティーチインだったと思います。
●ティーチインで持ち前の司会術を見せてくれた3年生の岡本さんは、仕事もとてもはやく、大学内研究室や福山・尾道界隈をまわっての広報活動にもがんばってくれました。
今まで映画を映画館で見ることが少なかったのですが、映画会を通して映画館でみることの臨場感や独特の雰囲気を味わうことが出来ました。同時に、イベントの司会を務めさせていただくことで人前で話すことの経験になったと感じています。
このイベントが成功したのも、学科の学生や大学の先生の方々、そしてご来場いただいた皆様のおかげと感じています。ありがとうございました。
●今回、企画構成や当日の司会にと、慣れない作業に四苦八苦しながらも、最後には力を存分に発揮してくれた4年生の花村くんです。打ち上げの場では、大役を果たしてほっとした表情を見せていました。去年の『ハッシュ!』上映会をやっていた1年上の先輩たちを近くで観ていて、今回の企画に立候補してくれたようです。
監督もティーチィンで仰っていましたが、映画イベントで上映した『なみのおと』を見た方が、「何か」を感じれたら私は今回のイベントは成功だと思います。ご覧になった方の感じることは、それぞれあるだろうと思います。ポジティブな意見やネガティブな意見もあるだろうと思いますが、私は、それを全て含めてそう思います。そこから、何かが生まれたり、見た方の中で続いていくのではないかなと考えています。また、映画イベントを行う過程の中でイベントを実行することの難しさを実感しました。私をサポートしてくださった方々に感謝したいです。ありがとうございました。今回のイベントも今後、学科の一つの文化になればうれしいかなと思います。
上映会後の5月13日には、私が担当する「メディア文化論」の授業の中で、濱口監督に講義をしていただきました。『なみのおと』とリュミエール兄弟の映画の”最初”と言われる『工場の出口』などの作品、そして『はじまり』という濱口監督が撮られた13分のフィクション作品を題材に、「待つ演出」「仕掛ける演出」についてお話いただきました。
学生の感想の中には、「映画館で観るのと、講義室で観るのとは同じ作品でも印象が全然違った」といった声や「監督をやられている人のお話を聴くのははじめてで、普段と違う気持ちで聴いていたが、画面の向こう側の人の考えがわかった気がします」といった声も上がり、いつもと異なる言葉の使われ方に戸惑いつつも新鮮な気持ちで話を聴いていたようです。
準備の時間のわりに、あっという間に過ぎてしまった2日間でありました。最後に、濱口監督よりコメントを頂きましたのでご紹介します。
率直に言って、福山でこんなにも多くのお客さんに出会えるとは思っていませんでした。阿部さんや学生の皆さんの努力のおかげと思います。ありがとうございました。トークショーも、花村くんの質問が一番最初は、どこか台本を読んでるようなところがあったと思うんですが、それがやるうちにだんだんと変化して来て、質問/応答というよりは、会話になってる部分がちゃんとあったように思っています。そうなってからはとても話し易かった、というのが正直なところです。講義に出させてもらって、改めて質問のない中で話すことはとても難しいことだと感じました。よい質問をもらえたとき、人に自分の言葉が届いていると実感できたときに言葉自体が自分で生き出しているような感覚でしゃべることができます。僕は単にしゃべったのではなく、阿部さんや学生の皆さんが作ってくれた状況や、花村くんにしゃべらされたのだと思います。それは心地のいい体験でした。自分の興味や関心が、人に力を与えることがあるのだ、とこの機会に実感してもらえたら、そしてこれからも自信を持ってそのことを続けてもらえたら僕としては嬉しいです。本当にありがとうございました。今度は新作を携えて、福山にお訪ねする機会を作りたいと思っています。
また、そのときに。本当にありがとうございました。
「よい質問をもらえたとき、人に自分の言葉が届いていると実感できたときに言葉自体が自分で生き出しているような感覚でしゃべることができます。」よい作品に出会った時、観る側もしっかりそのことを声に出していかなければ連鎖は生まれません。今回の映画会が、『なみのおと』へのひとつの応答となっていたらうれしいです。また近い機会に映画のお話を聴かせていただきたく思います。濱口監督、みなさま、本当にどうもありがとうございました!!